2010年9月6日、私は新潟県にいた。
青春18きっぷを握りしめ、鈍行に揺られながら向かった新潟県。
旅の理由は「日本海が見たい。」ただそれだけ。
始発電車に乗り込み、途中、土合駅に寄ったりしながら約10時間後に新潟駅に降り立った。
駅前のバス路線図を見ながら日本海への行き方と探していると「日本海タワー」というバス停が目に入った。
きっと、日本海タワーに行けば日本海がみえるんだろう。
私は、そう思いながらバスに乗り込み、初めての新潟の街並みを眺めていた。
すると、目の前に見えてきたのはカラフルな細い棒。
(なんだあれ?)
そう思っていると棒を白い円盤が昇って行く。
(ああ、遊園地かな。)
そんな事を思ったままバスに揺られていた。
この時は、それだけしか思っていなかった。
今後、このカラフルな細い棒に人生変えられるなんて思ってもいないのだ。
バスは住宅街で止まり、日本海タワーを目の前ににして、立ち尽くす私がいた。
(これは、、、タワーなのか????)。
まだ、タワー=東京タワーのような形状しかイメージがなかった私に新たなタワー定義が生まれた瞬間だった。
展望室に行ってみると床が回転している。面白い。
そういう意味では日本海タワーも私にとって思い出深いタワーだ。
日本海タワーで生まれて初めての日本海を眺め、反対側の市街地に目をやるとまた視界にカラフルな棒が目に入った。
そして、また白い円盤がぐんぐんと昇って行くのが見えた。
(なんか面白そう、乗ってみたい!!)
日本海タワーを後にした私は、まずは目的の日本海に近づくべくマリンピア日本海まで歩き、再びバスに乗ってカラフルな棒を目指した。
カラフルな棒はビルから伸びていた。
周囲には他に遊具があるわけでもなく、ただ棒だけが立っていた。
なるほど、遊園地ではなく、回転する展望台だけがあるのか。
そして、これはレインボータワーというのか!
なるほど、だからカラフルな色なのか!
これが、私にとって初めての回転昇降式タワー”レインボータワー”との出会いだった。
チケット売り場でチケットを購入し、係りの人にチケットを切ってもらい、キャビンに乗り込む。
お客さんは、私一人。
キャビンの扉が閉まった所でチケット売り場に家族連れがやってきたのが見えた。
でもキャビンは私一人を乗せて、回転しながらぐんぐんと上昇していった。
さっきの日本海タワーから見える景色とはまた違う、新潟の街並み。
高さ100mから見える景色は、新潟の土地が意外と平坦で広くて、建物が多いんだなーという事を教えてくれた。
面白い!
知らない街を高い所から見下ろすのは面白い!
これが新潟かーー!!
クルクル回りながら、私はもの凄く興奮していた。
初めて来た街を一気に知れる手段に出会えた喜びが全身を包んだ。
旅に出たら、高い所に行こう。
いろんな所を高い位置からみてみよう!
レインボータワーからの景色を見ながら私はそう決意していた。
それから私は頻繁に旅に出るようになった。
そして、その都度、タワーや展望台を目指すようになり、
気が付いたらタワーや展望台の為に旅をするようになっていた。
2011年3月11日、東京タワーに行こうと立ち上がった瞬間、今までに感じたことのない揺れに襲われた。
東日本大震災、発生。
今まで見たことないような光景をニュースで見てショックを受ける中、もう一つショックなニュースを目にした。
‐レインボータワー営業停止‐
半年前、、私に、、素敵な景色を見せてくれたレインボータワーが。。
慌ててデジカメで撮った写真を見てみても、レインボータワーを映した写真は数枚しかなくて、動いていたという記録が全然残せてない。。
こんなに早く、あの景色が見れなくなってしまうとは。。。
なんでもっと写真撮っておかなかったんだろう。。
私はもの凄く、後悔をしていた。
今あるものが、明日もあるか分からない。
せめて、今、自分が見ていた景色はちゃんと残しておこう。
そして、その景色を見せてくれているタワーや展望台の姿も残しておこう。
この日から、私はタワーや展望台行ったら必ず気が済むまで写真を撮るようになった。
2012年末までには24か所のタワーや展望台をめぐっていた。
そして2013年末には70か所になっていた。
2014年6月29日、日本海タワーが営業を停止した。
もし、あの日に「日本海を見に行こう」と思わなかったら、
もし、新潟駅前のバス路線図で日本海タワーを見つけなかったら、
もし、日本海タワーからレインボータワーを眺めてなかったら、
私は今、タワーじゃない何かに夢中になっていたのだろうか。。
そう思いながら、私は新潟に向かった。
もう見ることができなくなってしまう日本海タワーを目とカメラに焼き付けていた。
そしてレインボータワーにも会いに向かった。
久々に見たレインボータワーはあの日よりも鮮やかな虹色で、動いていても不思議じゃないくらいに思えた。
でも乗り場は封鎖されてしまい、チケット売り場もない。
でも、そこにレインボータワーはたしかにいる。
ずっとレインボータワーは新潟のシンボルとしていてくれる。
勝手にそう思っていた。
その後も日本各地のタワーや展望台をめぐりにめぐり、
それまで行ったタワーの数は2014年末には99か所、2015年末には150か所、2016年末には178か所、2017年末には218か所になっていた。
2018年5月2日、私は東京ドームで安室奈美恵さんのコンサートを見ていた。
9月16日で引退してしまう安室ちゃん。私にとっても憧れだった安室ちゃん。
カッコいい姿や可愛い姿、圧倒的な歌声とパフォーマンス。
この目で見れる最後の姿を目に焼き付けて、高揚とした気持ちで終演後にスマホを開いたらこんなニュースが飛び込んできた。
‐新潟レインボータワー解体決定‐
うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ついに、、
ついに、、、、
レインボータワーとのサヨナラも決まってしまった。。。
東京ドームの外で、私は立ち尽くしてした。
さっきまで見ていた安室ちゃんのこととレインボータワーの事といろんな感情が湧いてきた私は熱を出し、翌日まで寝込んでしまった。。
2018年6月2日、私は新潟にいた。
レインボータワー解体決定のニュースから一か月。
新潟市内のあらゆる展望台からレンボータワーを眺め、万代バスターミナルからレインボータワーを見上げた。
この日の新潟はまぶしいくらいに澄み切った快晴だった。
青空に鮮やかに生える7色の塔。
関分記念公園展望台、日和山展望台、メディアシップからレインボータワーは見えた。
2014年6月29日日本海タワーが営業終了した日に見た以来のレインボータワーの姿はあの日と全く変わらないのに、
その先にある確実な別れを思うとただただ切ない。
翌日も大山台公園 展望台、山の下みなとタワーからレインボータワーを見つめる。
改めてみると細くて頼りなくも見えるレインボータワー。
その体で45年間も立ち続けてきたんだから、本当に立派だよなぁ。
でもまだ45歳じゃないか。。
篠原涼子、宮沢りえ、松嶋菜々子、堺雅人、大泉洋…同世代の俳優さんはめっちゃ活躍してるじゃないか。。
なんて思いながら、時計の針が13時30分を指すのを待っていた。
ありがとうレインボータワーキャンペーンの一環で13時30分に、客室(キャビン)が昇降する。
動くレインボータワーを見るのは2010年以来だ。
どこから見ようかと迷った結果、一番近い位置からみることにした。
8年前、私がレインボータワーに乗った乗り場の位置から動く時を待つ。
すると、スタッフさんがやってきて、いつもは黄色い袋に覆われた稼働装置の電源を入れる。
緑と赤のライトが付いた瞬間、思わず「おお」と声を出してしまった。
装置に光が灯ると、この子はまだ生きているんだなーと実感してしまう、
そして、装置を操作するとキャビンがゆっくりと動き出した。
動いている音が聞こえる。
空高く上がっていくキャビン。そして迫りくるキャビン。
誰も乗せることないキャビンがゆっくりと上下してまた止まった。
叶うなら、もう一度ここから景色を見てみたい。
叶うなら、レインボータワーを解体しないでほしい。
そう思いながらこの日は東京へと戻った。
2018年8月9日、レインボータワーの解体作業が27日から開始されると発表された。
”解体作業”という文字が重くのしかかる。
暗い気持ちでレインボータワーのニュースを見ていたら、
新潟伊勢丹で開催されている「うる星やつらPOP☆UP STORE」でレインボータワーとラムちゃんがコラボした限定商品が発売されることを知った。
さよならは悲しいけれど、こうしてグッツとして形に残り続けるというのは素敵なことだな、と思った。
そう思えるくらい、コラボグッツはとてもかわいいイラストだった。
せめて少しでも思い出を増やしたい、少しでもレインボータワーとの思い出を作りたい。
この夏は新潟に行けるだけ行こう、と思った。
8月11日、新潟へ。
「新潟まつり」で賑わっている万代シテイでレインボータワーが出迎えてくれた。
そんなレインボータワーを眺めながら伊勢丹に行って新潟限定のレインボータワーコラボグッツを購入した。
レインボータワーが描かれている新潟限定のコラボグッツは全てゲットすることができた。
8月12日には、限定パッケージのバスセンターカレーが完売してしまうほどの大盛況だったようだ。
コラボグッツを抱えたまま、この日のレインボータワー稼働は、「ありがとうレインボータワー」フォトスポットから見守った。
そして今回の目的の一つは、レインボータワーグッツのガチャガチャ「ありがとうレインボータワー メモリアルコレクション」をコンプリートする事。
この日の為に100円玉を30枚用意してきた。
10回ガチャガチャすれば全4種コンプリートできるだろう。
まずは1回目。
巾着。
うん、これがレインボータワーの全身がプリントアウトされていて一番メモリアル感がある。
一番これが嬉しいよね。なに入れていいいかは分かんないけど。
2回目。
巾着。
1個は使う用で、1個は保存用だ。
3回目。
巾着。
1個は使う用で、1個は保存用で、1個は飾る用にしよう。
4回目。
巾着。
1個は使う用で、1個は保存用で、1個は飾る用で、1個はお土産にしよう。
頼むぞ、5回目。
巾着。
巾着しか入ってないのかな。
一応、、他のも入っているのが見えるが、圧倒的に巾着だ。
これは10回じゃコンプリートできそうにないぞ。
巾着が入った青いカプセルを5個抱えて、私は一旦ガチャガチャを離れた。
私が離れた後に女の人がガチャガチャを回し始めた。
巾着。
あぶない、また巾着が増える所だった。
万代シテイのガチャガチャからも離れて、伊勢丹にあるガチャガチャへと移動した。
中身を覗くと、ここも圧倒的に青が多いが、下の方に他の色が見える。
よし、ここで残り5回をやろう。
300円を入れてハンドルを回す。
だが、カプセルは出てこない。
まさかの不具合発生。
すぐさま伊勢丹のお姉さんにカプセルが出てこない事を告げると、担当のスタッフさんを呼んできて修理してくれた。
笑顔で「ではどうぞ」
と促され、ハンドルを回す。
6回目。
巾着。
私「全種類欲しいんですが、巾着ばかり出るんです」
スタッフさん「そうなんですね、頑張ってください。」
励まされたので再び300円を入れてハンドルを回す。
7回目。
緑のカプセルきたーー!
レインボータワーのキャビンをモチーフにしたトイレットペーパー用カバーだ!
これもレインボータワーらしくて嬉しい。
残り3回であと2種類。
8回目。
巾着。
9回目。
巾着。
ラスト10回目。
巾着。
巾着ばかりやんかーい。
巾着9個とトイレットペーパー用カバー1つを持って東京へと帰るのだった。
8月16日レインボータワーライブカメラとなるものを発見した。
新潟日報さんがライブカメラを公開してくれている。
お別れは寂しいけど、レインボータワーを見守れる事に感謝しつつ、
しっかりと見届けようと思った。
8月26日、解体前日。私はまたもやレインボータワーの前にいた。
5月11日から始まったレインボータワー稼働もこの日がラスト。
最後は2往復させてくれるという。
私以外にもテレビのカメラマンや記者など多くの人がタワーの周りにいた。
最後の昇降が始まる直前、空から雨粒が落ちてきた。
空も別れを惜しんで泣いているのかな、と思ったら私まで泣きそうになってしまった。
13時30分。雨の中、最後の昇降が始まった。
最後の昇降も入口近くで見つめた。
そして2往復目は階段付近からタワーを見上げながら見守っていた。
昇降が終わると「お疲れ様」という声があちらこちらで聞こえていた。
そして一人の男性がスタッフさんに声をかけていた。
男性「お疲れ様でした。これで本当に最後ですか?」
スタッフさん「これで最後です」
この日はレインボータワーの隣にある「万代シルバーホテル」に宿泊した。
この部屋から8月26日から8月27日になった瞬間をタワーと一緒に迎えた。
たった一日時計の針が進んだだけで、解体作業開始日となってしまった。
昨日と同じ様で昨日と違う、そんなレインボータワー。
私は、カーテンを開けたまま、ベットからタワーが見える位置に枕を置いた。
レインボータワーを見上げながら、私は眠りについていた。
明日から、解体作業開始なんて、、夢ならいいな、と思っていた。
8月27日の朝はやってきた。
ホテルの窓から見たレインボータワーは雨に濡れていた。
また空が泣いている。
万代シテイパークではレインボータワー解体工事の安全祈願祭の準備が行われていた。
解体作業開始は夢じゃなかった。
いそいそと服を着替えて、荷物を纏めて、ホテルをチェックアウトした。
そして、安全祈願祭を遠くから見つめていた。
ただただ見つめていた。
ただただポツンと一人で安全を祈っていた。
安全祈願祭も無事に終わり、新潟交通の方がインタビューを受けていた。
そんな様子もポツンと1人で見つめていた。
すると遠くからなんだか視線を感じた。
視線の先には一台のテレビカメラ。
30m位先からこちらにレンズを向けている、
(あ、やばい)
なにがヤバいか分からないが、私はそそくさとその場を離れた。
そして今度は別の場所からレインボータワーを見つめる。
するとまたなんだか視線を感じる。
視線の先には一台のテレビカメラ。
10m位先からこちらにレンズを向けている。
(なんなんだよー)
また私は場所を変える。
そしてまた遠くからレインボータワーを見つめる。
「すみません。」
急に声をかけられた。
1m位先からこちらにカメラレンズを向けている。
そしてその隣にはマイクをもったお兄さん。
お兄さん「レインボータワーの写真を撮られているんですか?」
私「あ、はい。。」
お兄さん「いい写真撮れましたか?」
私「あ、はい。。。」
お兄さん「レインボータワーには乗られたことあるんですか?」
私「あ、はい。。。。」
お兄さん「いつくらいに乗られたんですか?」
私「8年前です。。」
お兄さん「8年前!その時の景色はどんな景色でしたか?」
私「その時、、初めて、、新潟に来たんですけど、、日本海も見えて街並みが一望できて、、自分、、新潟に来たんだなって思いました」
お兄さん「今日はどちらから来られたんですか?」
私「東京から。。。」
お兄さん「東京から!!!」
という感じで完全にインタビューされています、私。
もの凄い人見知りと朝の低いテンションでインタビューされてます。
スッピンのボサボサ頭でインタビューされています。
正直、完全に話しかけるなオーラを出しつつ、話しかけられても邪魔するなオーラを出していた私は、
人でも殺すんじゃないかというような顔をしていたことでしょう。
というかしてました。
完全に夕方のニュースで流れてました。
目つきの悪い女がインタビューに答えている姿が晒されていました。
蕎麦屋で蕎麦食べてニュース流れて思いっきり蕎麦を吹きました。
ニュースを見た時は「マジでやめてくれ!」って思ったんですが、、
もう今思うと、レインボータワーの事でニュースに出れたのは本望だ。
ああ、、なんでちゃんとメイクして髪も結んで、もう少し愛想よくできなかったんだ私は。。
新幹線の中で新たな後悔に苛まれていた。
そしてリュックの中にはまたもや大量のレインボータワー巾着が入っているのだが、今回無事に4種類コンプリートする事ができた。
いくら使ったのかは考えないようにしたいと思う。
それから新潟日報さんのライブカメラでレインボータワーの様子を見守っているのだが、
タワー自体には大きな変化はなく、たまにキャビンが動いている姿も見る事ができていた。
今日もレインボータワーはちゃんと立っている。
夜には航空障害灯が点灯しながら存在を教えてくれている。
毎日ライブカメラで確認して「まだ、大丈夫だ」と安心する日々を送っていた。
9月2日。
万代シテイで行われるNGT48の3期生お披露目イベントでレインボータワーに感謝を伝えるセレモニーが行われるというので新潟に向かった。
初々しいNGT48のパフォーマンスの後に行われたセレモニーでは篠田新潟市長と万代交通の星野社長をゲストに記念のくす玉を割りレインボータワーへの想いを語り合っていた。
このイベントでレインボータワーが動いてくれる事を期待したが、レインボータワーが動く姿は見れなかった。
着々に工事の準備は進んでいて、タワー周辺は立ち入り禁止区域が広がっていた。
工事の囲いにはNGT48メンバーの「ありがとうレインボータワー」ポスターが掲出されていた。
多くの人で賑わう万代シティパークを見つめるレインボータワー。
たくさんのありがとうに囲まれながら、レインボータワーはその時を待っているんだな、と感じた。
11月7日、会議中に新潟日報さんのライブカメラをうっかり開いてしまい、私は声にならない声をあげてしまった。
航空障害灯が光っていない!!!
レインボータワーがそこにあることを知らせる赤い光が点灯していないのだ。
それはまるで、今まで感じていた心臓の鼓動が消えてしまったように思えた。
いよいよ、その時が近づいてきているのだ。
11月10日、ニコニコ生放送でレインボータワー解体工事の生中継が行われることが発表された。
13日から20日までニコニコ生放送でも解体工事を見守ることができる。
改めてレインボータワーは愛されているタワーなんだなと思った。
11月11日 新潟へ。
ついに11月13日より塔体解体が開始されてしまうレインボータワー。
最後の最後にもう一度会いたくて新潟へ。
足場に覆われてしまったレインボータワーだけど、しっかりとそこに立っていた。
でも本当にこれでお別れなんだという現実も突きつけられる。
この日は新潟市のいろんなところから足場に覆われているレインボータワーを見上げた。
遠目には緑色の煙突のように見えるレインボータワーも、近くで見ると7色の塔がしっかりと見える。
それでも日が暮れてタワーを見上げてみても航空障害灯が光ることはなかった。
私がレインボータワーを見上げられるのは今日で最後だ。
そう思いながら時間の許す限りタワーを見上げていた。
11月13日からはニコニコ生放送でもタワーの解体工事の様子を見守っていた。
ニコニコ生放送はUX新潟テレビ21のライブカメラで撮影しており、カメラマンさんがしっかりと工事の様子も鮮明に映してくれていた。
11月14日には避雷針が撤去される姿が映し出された。いよいよ本当に解体が始まってしまったのだ。
11月15日には頭頂部が撤去された。
そして11月16日からは塔体が6mずつ切断されていった。
切り取られ、短くなっていく姿を、ただただ画面越しに見つめていた。
11月23日。45年前にレインボータワーが生まれた日。
万代シテイでは「万代シテイ45th感謝祭 ~さよならレインボータワーの日~」が開催された。
新潟駅に着く直前、新幹線から見えた景色に、あの7色の塔はなく、工事のクレーンがレインボータワーの位置を教えてくれた。
駅から万代シテイに向かう道で見えていたタワーももう見えなくなっていた。
ほとんど切り取られてしまったタワー。
水色の部分だけが残ったレインボータワーを見て、改めて、失われていっている現実を目の当たりにした。
万代シテイパークでは、万代シテイ45th感謝祭の準備が行われていた。
まだ感謝祭までは時間があるので、私は港の方へ向こう事にした。
そしてバスに乗って向かったのは山の下みなとタワー。
信濃川河口に切断されたレインボータワーが置かれているという事で、会いに向かったのだ。
山の下みなとタワーの展望室から、その姿は見る事ができた。
輪切りにされてしまっているレンボータワーだけど、綺麗に並べて置かれていた。
悲しい姿ではあるけれど、それでもなんだか大切にされている感じもあって。
レインボータワーの近くには、営業運転を終えた武蔵野線の「205系」の列車も置かれていた。
行き先表示には「ジャカルタ」と書いてあり、新たな地での活躍を願う思いが感じられた。
レインボータワーはどうなってしまうのだろうか。
次の新しい人生があるのだろうか。
45年間立ち続けたタワーに改めて“おつかれさま”と言う言葉を残して万代シテイへ戻った。
万代シテイ45th感謝祭では、万代シテイの2大名物である、みかづきの「イタリアン」と万代そばの「バスセンターのカレー」がコラボした「バスセンターカレー イタリアン」が販売された。
私も「バスセンターのカレー」は好きで何回か食べてはいるが、みかづきの「イタリアン」はまだ未体験。
是非とも食べてみたい!と思い、販売開始前から並んで購入し、お昼ご飯として美味しくいただいた。
そのほかレインボータワーグッツがもらえるスタンプラリーや、レインボータワーからの景色が体験できるVRコーナーなども楽しんだ。
うーん、楽しんだんだけど、万代シテイからレインボータワー見上げられないのがやっぱり寂しい。
それでも、新潟・万代シテイは新たな街へと進化をしていくわけだし、レインボータワーの跡地には記録を残すモニュメントも置かれる事が発表されている。
完全に失われるわけではないし、いつまでも今ある形で残すことだけが正しいわけではないのだ。
でもせめて忘れないようにはしよう。
レインボータワーに出会えたこと、レインボータワーが教えてくれたこと、レインボータワーを見に新潟に行ったこと、その時に思ったこと、全てを忘れないように、残すことにしよう。
帰りの新幹線はMaxとき350号東京行き。
2020年度末に引退が発表されている、このオール2階建て新幹線の中で私はパソコンを打ち始めた。
11月24日。レインボータワーが見えなくなるまで解体された。
11月26日。レインボータワーの塔体の解体作業が終了した。
11月28日。レインボータワーを解体していたクレーンが撤去された。
12月06日。レインボータワー解体のために通行止めとなっていた万代シテイ通りの通行止めが解除された。
12月22日。私は新潟に向かった。
新潟駅に着く直前、電車の窓から見える景色にレインボータワーは見えない。
本当になくなってしまったんだ、、と改めて実感させられる。
レインボータワーに向かう道の途中に見えていた姿ももう見えない。
万代シテイに着いてもその姿は見えない。
45年間、新潟の空に架かっていた虹は姿を消してしまったのだ。
ありがとうレインボータワーフォトスポットだった場所からレインボータワー方面を見つめてみると寂しさがこみあげてくる。
レインボータワー周辺は完全に工事が終了していてレインボータワーの近くまで行くことが出来るようになっていた。
階段を上ってタワーがあった根元を見下ろしてみると、根元にはブルーシートが掛けられている。
こうしてみると、タワーはこんなに細かったのかな、、と思ってしまうほど、根元が小さく見えた。
レインボータワーがなくなってしまった万代の空が少しだけ広く見える。
改めて、ありがとう、という気持ちでタワーの根元から空を見上げていたら、大粒の雨が落ちてきた。
雨の中、私はまたバスに揺られていた。
きっとまだあの場所で横たわっているだろうタワーに会いに、山の下みなとタワーへと向かった。
タワーの展望室から見えた姿に、約一か月前と同じ場所にタワーがいることに安心したのも束の間。
タワーから煙が出ていることに気が付いた。
そして見えるのはオレンジの火花。
よく見てみると、手前の赤と白のタワーには縦に切断された跡が見える。
タワーがさらに細かく切断されている。。。!
私は慌てて展望室を降りて、タワーに一番近づけるフェンスへと向かった。
そこからは切断作業している音や煙がダイレクトに感じられた。
そして時折、作業員がショベルに乗って切断されたタワーを後ろの鉄屑の山に運ぶ姿も見えた。
ついに、、レインボータワーは、この場所からも姿を消そうとしている。
まさかそんな瞬間を見ることになると思っていなかったので、あまりの事に、心臓がギュウっと痛くなった。
雨がまた強くなってきたので、展望室に戻り、約一時間、切断されるタワーを見つめていた。
本当にさよならなんだ。
本当に。。
寂しくて悲しいけれど、この姿も忘れないように、しっかりとこの目と記録に刻み込もうとカメラのシャッターを切り続けた。
私にとって、展望タワーから見る景色の素晴らしさと、タワー自体の魅力と、記憶と記録に残すことの大切さを教えてくれたレインボータワーをずっとずっと忘れないように。
2018年、たくさんの人に見つめられながらレインボータワーは姿を消した。
私の人生に一番影響を与えてくれたタワーが姿を消した。
あなたのおかげで自分の気持ちに正直に行動できるようになりました。
たくさんの景色がみれるようになりました。
たくさんの経験ができるようになりました。
ありがとうレインボータワー。
これからも私は日本全国のタワーや展望台をめぐりたいと思ってます。
見守ってくれたら嬉しいです。
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